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海外写真集・旅行記OVERSEAS TRIP





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インドネシア (Indonesia)


現在,発展中のインドネシア。国に勢いがあり,街のあちこちで開発が進められています。その人口は2.6億人で世界4位。今もものすごい勢いで人口が増え続けています。9割のイスラム教と1割がキリスト教。華人は6百万人ほどで,人口比では2%にも満たない。しかし,その華人がインドネシア経済の98%を動かしていると実しやかに言われている。

この国の一番の観光地はバリ島。ビーチと独自の文化を目当てにバリ島に上陸しますが,このページでは,首都ジャカルタ(Jakarta)と避暑地バンドン(Bandung)を紹介します。

(2018年12月記)


ジャカルタの見どころ(Jakarta

ジャカルタ(Jakarta)の街並み
宿泊した高層ビルからジャカルタの街並みを臨む。ジャカルタは多くのデベロッパーにより,それぞれの地区が開発され,それぞれ,ショッピングセンター,オフィスビル,ホテル等の主要施設を中心に街(地区)が構成されている。
セルマート・ダタン(Selamat Datang)記念碑
ロータリーの中心に噴水とモニュメントがある。このモニュメントを中心に一つの地区が形成されている。2018年にスポーツアジア大会がここインドネシアで開催されたが,1962年の前回の大会開催時に建造されたという。 
   
モナス(Monas)
ジャカルタ中央の独立広場(ムルデカ(Merdeka)広場)にそびえ立つ国家独立記念塔。1975年完成。大理石でできており,高さ137メートル。内部は歴史博物館となっている。上部にはエレベーターで昇ることが出来,ジャカルタの街を見ることが出来る。過去はこの建造物が圧倒的に高かったが,今ではこれより高い高層ビルが出来た。
  
ファタヒラ広場(Taman Fathahillah)
この場所は,ジャカルタの歴史を語る地区。石畳の広場は西洋人が好む街のつくりである。広場の周りに統治時代の建造物が並ぶ。写真(左上)の建造は1710年建造。オランダ統治時代にオランダ総督が使用していたとされ,現在ではジャカルタ歴史博物館として使用されている。この広場ではレトロな自転車(貸自転車)があり,インドネシアの方はこの広場でそれを乗り回す。詳しいことは分からないが,ここ以外で自転車に乗るところが無い,オランダ統治時代に当時この国に無かった自転車を持ち込んだのでその名残であるという説等が有力である。
  
カフェ・バタビア(Cafe Batavia)
ファタヒラ広場(Taman Fathahillah)のもうひとつの楽しみはこの建造物。東インド会社の建物であったとされるこのコロニアルな建物,今はカフェとして使用されている。
カフェ・バタビアの内部
とてもおしゃれなカフェで,客層はほぼ外国人で占められる。時間帯にもよるが,観光客のほか,ジャカルタ在住の外国人が多いと思う。ここでの日本人遭遇率は100%。
  
ジャカルタ・コタ駅(Stasiun Jakarta Kota)の駅舎
ファタヒラ広場に近いこの建造物もオランダ統治時代のもの。改修を繰り返され,現在も現役の駅舎として使用されている。
銀行博物館 (Museum Bank Indonesia)
この建物は,オランダ領東インドの銀行として建造された。その後,インドネシアの中央銀行の歴史を経て,現在は博物館として使用されている。
  
ジャカルタ大聖堂(Jakarta Cathedral)
オランダの植民地を経て,人口の約10%の2千万人強がキリスト教。かくして,インドネシアのジャカルタにもキリスト教の建造物が存在する。先には歴史的な教会があったが,焼失し,現在のこの大聖堂が建造された。高さ60メートルの三つの鐘楼を有する。 
大聖堂の内部
大聖堂の内部に入り,ステンドグラスが目に入り,パイプオルガンの音が聞こえてくる。街の景色,様子が見えなくなると,全くここがどこか分からなくなるくらい,どっぷりと西洋文化に浸ることが出来る。
  
イスティクラル(Masjid Istiqlal)
世界最大級のモスクとして,1978年に建造された。この角度から見にくいが,白亜の巨大ドームが美しい。
モスクの内部
直径45メートルのドームの内部である。このモスクは12万人が同時に収容出来るという。ノンムスリムでも内部見学は可能です。
  
インドネシア国立博物館(Museum NasionalIndonesia)
インドネシア全土から収集された歴史的,文化的遺産,作品(ジャワ原人から近代まで)が展示されている。この博物館もオランダ統治時代まで歴史をさかのぼる。
馬車
こちらもオランダ統治時代の遺産。当時のオランダ人の移動手段はこの馬車が中心だったらしい。この写真がジャカルタ最後の写真であるが,この国はオランダ統治時代のものを現在でも引きずっていることが分かる。

バンドン(Bandung

バンドンへのエクスカーション
バンドン(Bandung)は,ジャカルタから車や電車で3時間ほどのところにあるインドネシア第3の人口を誇る都市。オランダ人が避暑地として利用した(標高約700メートル)。1955年にアジア・アフリカ会議(Asian-African Conference)が開催された都市としても有名である。火山,温泉等の見どころが多く,これと言った観光地の無いジャカルタに飽きたらバンドンに足を延ばすとよい。
アジア・アフリカ会議の会場
この建物で,1955年に第1回アジア・アフリカ会議(Asian-African Conference)が開催された。戦後,欧米等の植民地から独立したアジア・アフリカの各国が出席,平和を採択して閉会した。この会議が非白人国家のみによる最初の世界会議ともされている。その後,この会議は継続的に開催される予定であったらしいが,2回目の会合は開催されることが無いまま現在に至っている。
 
棚田
ジャカルタからバンドンまでの列車の旅。車窓からはのどかな風景が飛び込んでくる。インドネシアは世界3位の米生産国。しかし,人口も多く,需要も多いので一部輸入しているという。
バンドンで避暑
写真からは温湿度が伝わらないが,ほぼ赤道直下(南緯6度)にあって,このバンドンという街,ホントに快適。こうやって屋外でワインを楽しむ気になれるくらい涼しい。
 
タンクバンプラフ(Tangkuban Perahu)
インドネシアは日本と同じ火山列島。地震もあるし,火山の噴火もある。この山は何度も噴火を繰り返し,現在もいつ噴火するかわからない。いたるところに避難用のシェルターが用意されている。
標高1830メートル
この標高まで登るとさすがに寒い。それと,風向きによっては硫黄の臭いが強烈である。この地点から眼下にこの山最大のクレーター(Ratu Crater)を臨むことができる。
 
火口(Ratu Crater)
この火口は必見である。火口(死火口)に水がたまった湖は数多く見たが,これは活火山の活火口である。約10年に1回は噴火があり,いつ噴火するかもしれないというスリルもある。日本だったら,立ち入り禁止区域であろう。ちなみに,天気は悪いわけでなくほぼ快晴。ただ,火山からの蒸気が上空に立ち込めて霧状になり,太陽の光はこの周辺のみ常時遮断されている。 
  
温泉
火山があるおかげで温泉という恩恵もある。Sari Ater という名の温泉リゾートを訪問。広大な敷地に温泉が広がる。現地の人はこのまわりでピクニックをしながら足湯を楽しむ風習があり,温泉のまわりで長い時間を費やす。ただ,日本のように温泉に全身を浸かるという習慣は皆無である。 

番外編

ジャカルタからバンドンへの列車
ディーゼルの気動車が客車をけん引するスタイル。インドネシアの鉄道の歴史は意外に古く,日本における鉄道の開通より早い1867年に運行が開始されている。
列車の墓場
ジャカルタからバンドンに列車で向かう途中,Cikaum駅に差し掛かるとこの光景が飛び込んでくる。使わなくなったものはそのまま放置する。しかも積み上げて省スペースに。大半は日本製の中古車両。
最後までご覧いただきありがとうございました。
なお,シンガポールに近いビンタン島の様子は,シンガポールのページで紹介しています。こちらをご覧ください。

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