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エルサレム(旧市街)を臨む
4千年超の歴史を有する古代の都市エルサレム。城壁に囲まれた旧市街は,ユダヤ,キリスト,イスラム3つの宗教の聖地が複雑に混在している不思議な街である。手前に金色のイスラム教モスクが見える。オリーブ山より撮影。 |
城壁の門
城壁の中のエルサレム旧市街に入るにはこのような門を通る必要がある。全部で8つの門がある。ちなみに,この狭い門は車も通行します。城壁の全てが紀元前に作られたものでなく,オスマントルコ時代に一部作られたものであるとのこと。 |
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旧市街の小道
旧市街の内部は細い路地が続く。標高800メートルにあるエルサレムは,地中海からの湿った空気を受けるため雨量が多く,街は緑に包まれている。冬は降雪も記録する。地中海からの湿った空気はこの丘でせきとめられ,エルサレム以西は砂漠地帯となる。 |
旧市街
エルサレムの街がこんもりしている様がうかがえるのは,この街は大地震により建物が何度も倒壊し,ガレキの上に新しい街を建造したため。この地帯はアフリカプレートとアジアプレートの境界にあり(死海から紅海を経てキリマンジャロまで断層がはしっている),地震が多い。 |
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嘆きの壁(西の壁)
1世紀のキリスト教の支配,7世紀からのイスラム教の支配のなかで,ユダヤ教時代のほとんどの建造物が破壊されたが,唯一残されたユダヤの建造物。かつて存在したユダヤ神殿の西側の壁であったため,別名西の壁とも呼ばれる。ユダヤ人はこの壁をユダヤ教の聖地として祈りに訪れる。願い事等を紙に書いて岩の隙間にはさんで祈る。 |
嘆きの壁(西の壁)その2
ここは神聖なる場所。近づくには,まず,備えつけの紙製の帽子をかぶる。壁に向かって左側が男性,右が女性のための祈りの場所。写真右の黒服(ユダヤ正装)の男性は自前の帽子着用。ちなみに,この帽子の大きさで信教の度合いがわかるらしい。最近は熱烈に信教する人は10%以下に減り,60%は無宗教状態に近いらしい。 |
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イエスキリストの死
イエスが死刑判決を受け,十字架を背負って歩いたとされる悲しみの道(ビア・ドロローザ)を歩き,イエスが磔刑に処されたゴルゴダの丘まで歩く。ここで,イエスは亡くなった。弟子たちがイエスの埋葬に先立ち,遺体を処置したとされる塗油の石がある(ポインタを写真にあわせてください)。これにより,ここエルサレムはキリスト教の聖地となった。 |
ムハンマドの昇天
サウジアラビアのメッカで生まれた預言者ムハンマドは,メディナでの死後エルサレムのユダヤ神殿(この写真の撮影場所付近)の上に現れ,再び昇天したとイスラム教では信じられている(少々無理やりなストーリー)。かくして,エルサレムはユダヤ教,キリスト教に続き,3つめの宗教,イスラム教の聖地となった。 |
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エルサレム西側は砂漠地帯
エルサレムを抜けると突然砂漠地帯となる。これから死海に向かいます。砂漠地帯はラクダを連れたアラブ人にとって格好のテント生活場所であったが,このような場所は同時に格好の軍事演習場である。軍事演習により,アラブ人は遊牧をする場所を失った。国家が彼らに住宅を提供し,定住するよう指導している。ただ,放牧生活はアラブ人のDNAに刻まれた習性のようで,なかなか定住しないらしい。 |
要塞マサダ
死海に到着する前に,古代イスラエルを語る上で重要な場所がある。世界遺産マサダの要塞跡である。1世紀,ローマ帝国に攻め込まれたユダヤ人は,この断崖絶壁の要塞に最後の900人が食料等とともに立てこもり,2年間にわたり抵抗した。しかし,最後に攻め込まれる前夜,全員が自害した。これでユダヤ国家の歴史がいったん止まり,ユダヤ人が離散した悲劇の歴史が始まった。 |