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海外写真集タイ > アユタヤ

アユタヤ (Ayutthaya)


 アユタヤはバンコクから北へ約80km,街全体がユネスコ世界文化遺産に登録されている。西暦1350年から35代,417年にわたりこの地でアユタヤー王国の歴史を築いた。この間,カンボジアのアンコール王朝を滅ぼし,スコータイ王朝を吸収し領土を広げたが,1767年のビルマの侵攻により陥落。多くの遺跡も当時ビルマ軍が放った火の中に消えた。
 
 現在のアユタヤはインドシナ最大に栄えた過去の都であった面影も無く,破壊された仏像や土台のみが残された寺院等,18世紀のビルマの侵攻当時のまま,アユタヤ遺跡として静かに観光客を迎えている。
 
ワット・プラ・シー・サンペット (Wat Phra Sri Sanphet)
世界文化遺産アユタヤの最重要文化遺跡のひとつ。旧王宮の隣にある王室の守護寺院で,バンコクの王宮の隣にあるワット・プラケオ(エメラルド寺院)のような存在。1491年に建設されたとされるが,18世紀のビルマ(現ミャンマー)の侵攻により跡形も無く破壊され,当時の建物は残っていない。残っているのはセイロン方式の仏塔のみ。この隣の王宮跡は更に破壊されており,建造物は全く何も残ってない。
 
 
ワット・チャイワタナラーム (Wat chaiwatthanaram)
1630年アンコール朝(現カンボジア)に対する勝利を記念して建てられたとされる。クメール様式を踏襲した寺院。アンコールの影響を受けた建造で,外観はアンコール・ワットに似た印象を受ける。ここも18世紀のビルマ(現ミャンマー)の侵攻で仏像の首が破壊されているのが痛々しい。
 
ワット・プラ・マハタート (Wat Phra Mahathat)
世界文化遺産アユタヤの最重要文化遺跡のひとつ。14世紀の建造説が有力で,初期のアユタヤ様式の建造物とされている。この寺も18世紀のビルマ軍(現ミャンマー)の侵攻により破壊された。
ワット・プラ・マハタート (Wat Phra Mahathat)U
これが有名な木の根っこに取り込まれた仏頭。ビルマ軍によって破壊され,根元に置かれた仏頭が,長い歳月をかけ,木の生長とともに根に取り込まれたとされる。信仰心の深いタイの人々は,この切り取られた仏頭も熱い信仰の対象としている。
 
バン・パイン離宮(Bang Pain Palace)
アユタヤから車で30分ほどの郊外にある。17世紀に避暑目的の離宮として建設されたアユタヤ王朝の建物。アユタヤ王朝が滅びた後も,現タイ王族が離宮として使用している。
アユタヤ郊外
アユタヤは郊外に出ると一面田んぼが広がり,のどかな風景となる。地平線まで田んぼが続いている。とても落ち着くアングルである。タイの田んぼは北部及び東北部を除き2期作を行うので,1年間に2回米の収穫ができる。

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