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海外写真集・旅行記OVERSEAS TRIP





海外写真集タイ > イサーン

イサーンへのいざない (Issan)

 
 イサーンと呼ばれるタイ東北部は,タイ国土の3分の1以上の面積を占める標高数百メートルの台地(コラート高原)で,北と東はメコン川を隔ててラオスと,また,南はカンボジアと国境を接する。イサーンでは文化や習慣もタイとは異なり,歴史上完全にラオスに影響を受けている。タイ国内でありながら親しい仲間や家族間ではラオ語を話し,タイ語は話さない。イサーンの子供達もタイ語は小学校に行ってから学びはじめる。
 
 イサーン地方は地理的要因等から土地が農業に適さない上,降雨が不安定で,干ばつと洪水に繰り返し見まわれることが多い。従って,この地域の平均所得は他のタイの地域に比べて低い。農閑期にはバンコク等へ出稼ぎに出る人たちも多く,イサーンの農業地帯はタイ経済の急速な発展から取り残された感は否めない。
 
 一方,イサーンの人たちの顔のつくりや肌の色は日本人に近く,また,持ち前の明るい性格とあわせて親近感をおぼえる。「イサーンへのいざない」と格好良くイサーンへの旅を例えたが,イサーンにはこれと言った観光スポットが無いので,ここへの旅は上級者向けとなる。ただ,イサーンに行かなくとも,バンコクのタクシー運転手やレストランのウエイトレスの大半がイサーン出身者であるのでご安心あれ。

 
(2005年記)


 イサーンの都市も過去と比較し,目覚ましい発展を遂げている。外資のデパートが建ち,そこを核に繁華街となり,人はそこに集う。ヤングジェネレーション間では,ラオ語はほぼ封印され,街ではタイ語が聞かれる様になっている。ただ,この地しかないモタサイサムローは未だ健在である。

(2019年記)



のどかな田園地帯

コンケーンからウドーンターニへの道
この道はバンコクからアユタヤ,ナコンラチャシマー(コラート),コンケーン,ウドンターニを抜け,ラオス国境の街のノンカーイまで続くタイ東北部(イサーン)の大動脈,国道2号線。街を抜けるとのどかな田園風景となるが,都市部は近代的な建物が建ち並び道幅も広い。
モタサイサムロー
コンケーンまではバンコク等で見られるトゥクトゥクが走るも,コンケーンから更に北上すると,トゥクトゥクは見られず,バイクを改造したモタサイサムローがその代わりを果たす。モタサイはモーターサイクル,サムローは3輪車で,モタサイサムローはその合成語。料金はすべて交渉制。
 
イサーンの田舎の風景T
残された自然と,果てしなく広がる大地。この時期,水がある池はめずらしい。イサーンの夏は雨が降らず,気温はとてつもなく高い。気温は40度を超えることがあたりまえ。
イサーンの田舎の風景U
イサーンの夏,農閑期を象徴するショット。牛の放牧を行い,細々と生計をたてる。タイの多くの水田では米の2期作があたりまえであるも,雨の無いイサーンでは1期作が精一杯。
 
イサーンの田舎の風景V
農閑期のこの大地も,雨季が始まる6月に田植えをおこない,1月頃に収穫を行う。この地方は,米といえばカオニャオ(もち米)。カオスワイ(普通の米)はほとんど食べない。
イサーンの田舎の風景W
哀愁が漂うワンショット。どこか懐かしく,タイムスリップした錯覚におちいる。モノクロが似合う風景です。日本もこういう田舎が昔は残っていました。

コンケーン(Khon Kaen)市内の見どころ

プン・ケン・ナコーン湖(Bueng Kaen Nakhon)
コンケーンの街外れにある広大な湖。水遊びをしたり,周りの遊歩道を散歩したり,市民の憩いの場となっている。
ワット・ノンウエン(Wat Nongwan
ブン・ケン・ナコーン湖沿いの寺院。高さ80メートル,9層のお堂は,タイ東北部で一番美しい寺院と呼ばれている。
 
コンケーン国立博物館
写真は聖域を表したとされる石板の復元。その他,この博物館には,紀元前の土器からクメール様式の仏像等が展示されている。
タイ初代首相の銅像
タイの初代首相はコンケーン出身。立派な銅像となり,コンケーンの人々に今も尊敬されている。
 
時計台
この周りは広場となっており,お正月等にはここに人々が集まり新年を祝福する場所となっているとか。
不明のモニュメント
コンケーン最後の建造物はこれでしたが,何の建造物だか忘れました。情報が入手できたらそのとき記載します。


ウドンタニ(Udon Thani)市内の見どころ

ノーン プラチャック公園(Nong Prajak Park)
ウドンタニの街中にある湖沿いの公園。市民憩いの場所。なぜか,何の関係も無い巨大アヒルが置かれ,それが有名となり,今やウドンタニのシンボルになった。
トゥン・シー・ムアン(Thung Si Muang)
公園の隣にある寺院。公園とこの一帯がウドンタニ市内でゆったりとした街のつくりとなっており,週末の歩行者天国の夜店もこの周辺で開催される。
 
タレーブアデーン(Red Lotus Lake)
ここがウドンタニ観光のハイライト。ウドンタニから南に30分ほどの大きい湖に,赤い蓮の花が咲き乱れる。時期的には12月から4月頃が理想と言うが,その年によっても花のつき方が変わる。ここは極楽浄土。ホントの極楽はこの蓮の葉の上をそのまま歩けるのかもしれない。


ラオスのビエンチャンへ

ビエンチャンへの道
タイ国境の街,ノンカーイの街外れの交差点。ここからラオス国境まであと2kmの地点。しみじみ思う。思えば遠くへ来たものだ。標識は,左に曲がればウドンターニに南下,まっすぐはラオスのビエンチャンに向かうことを示している。
タイ・ラオス友好橋
1994年オーストラリアの援助で完成したタイとラオス2国を結ぶ橋。長さは1,174メートル。写真はタイ側の国境を写したもので,タイの国旗がはためいている。これを超えるとラオス入国。首都ビエンチャンまでは25km。
 
ワット・ホー・パケオ(Wat Ho Phakeo)
16世紀にラオスの首都が古都ルアンプラバンからビエンチャンに遷都された頃に建造された王室専用の寺。バンコクのワット・プラ・ケオにあるエメラルド仏像は,当時ここに安置されていた。18世紀にタイの国王ラマ1世がビエンチャンを攻略し,エメラルド仏像をタイに持ち帰ったとされる。
ワット・タット・ルアン(Wat That Luang)
この寺はビエンチャンのランドマーク。ラオスの象徴と言っても過言ではない建造物。寺の歴史は紀元前まで遡り,この仏塔は12世紀前後に建造されたとされる。その後のビルマ及びシャムの進攻により破壊されたが,修復,再建が繰り返された。現在のこの建物は20世紀になって再建されたもの。
 
戦没者慰霊塔/凱旋門(Patou Sai)
パリの凱旋門に習い建造したもので,当初は内戦で死亡した兵士の慰霊の目的で1960年代から建造が開始した。その後の急激な経済不況により現在も未完成のままである。1990年頃からは凱旋門と名称が変えられた。
ビエンチャン市内風景T
凱旋門からの市内風景。首都でありながら静寂の街である。ラオスはフランス領インドシナの植民地時代の後(1953年まで),その後,社会主義国の道を歩んできた。この間内戦を繰り返し,経済成長がまったく止まっている。
 
 
ビエンチャン市内風景U
凱旋門からのショット。フランスの植民地の影響が色濃く残り,街のつくりは西洋風である。昔に比べ,車は新しくなり,その数も増えたとされるが,まだまだ発展途上は否めない。
タート・ダム(That Dam)
18世紀頃建造されたとされる仏塔。タイが侵攻した際,ここに住む7つの頭を持つ竜がこの街を守ったとされる神話で有名。これで,ラオスを後にします。

バス