2004年12月26日,スマトラ沖大地震に伴うインド洋大津波が発生し,インド洋沿岸の多くの国々を襲い,多くの方々が死傷しました。私が度々訪れるタイ南部のプーケットではパトンビーチが一番大きな被害を受け,多くの方々が犠牲者となりました。その他,プーケットから東側のクラビの小島は壊滅的な被害を受け,中でもピーピー島のトンサイはゴーストタウンと化していました。 津波発生から5日後の12月31日にプーケットのパトンに入りました。当初伝えられていた状況より随分ましな状況でしたが,被害は海沿の家屋に集中。木造の建造物はことごとく破壊されていました。 津波に遭遇した知人数名の情報をとりまとめると,12月26日の午前8時ころ立っていると分からない位の小さな地震があり,その約2時間後の午前10時前にいきなり津波が押し寄せたようであります。見る見る水嵩が増し,車やボート,破壊された建造物等が流されて行ったそうです。数十分ほどで水は引きましたが,今までと全く違う光景が現れ何が起きたか理解できなかったようです。 津波がもし午後以降に起きていたら,更に多くの人々を巻き込み大きな被害となっていたかも知れません。 |
流れてきた大型冷蔵庫 パトンのビーチロード沿いの風景。道路沿いにどこからか業務用冷蔵ショーケースが流れてきています。奥の建造物は木造のため潰れています。 |
倒壊したレンガの門柱 レンガの門柱もひっくり返っています。津波の威力の大きさを知ることが出来ます。奥の建造物はモルタル建てのため,かろうじて原型を留めています。 |
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折れた樹木 レストランに植えられていた樹木も津波により折れていました。奥のガラクタは,ビーチにあったパラソルやチェア等の残骸です。 |
電話ボックス 公衆電話もメチャメチャに壊れています。フレームは残っていますが,アクリル板はどこかに流されています。 |
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ビーチ沿いの木造建造物(バンガロー) この様に木造の建造物はことごとく壊れていました。ここにもパラソルやビーチチェア等が流れ込んでいます。 |
陸に登ったボート 少々見にくいかもしれませんが,ボートが海岸から数十メートル入った所まで打ち上げられています。決して船頭が多かったわけではありません。 |
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骨格のみになった商店 窓ガラスとシャッターが津波により破壊され,骨格のみになっています。中に並んでいた商品も流されています。この辺で,津波の高さは2.5メートル。 |
全く破壊された家 木造家屋はこのような状態です。ここにはオープンエアのシーフードレストランがありました。 |
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パトンビーチ沿いのバンガロー 波打ち際から十数メートルほどしか離れていない海辺のバンガロー。海に近い側(右)は壁も破壊されている。 |
パトンビーチ沿いのバンガロー 同じく海沿いのバンガロー。右側家屋の屋根の壊れ状況から推測すると,この辺の水の高さは3メートルほどか。 |
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パトンビーチの樹木 この木は細いためか,津波により折られていました。もしかしたら津波そのものでなく,ボート等により破壊されたのかも知れません。 |
ビーチロードの様子 津波発生から1週間も経つと,道路は清掃され,車も走り出しました。ただ,道には津波により運ばれた砂が積もっています。 |
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静かなパトンビーチ 津波のあと数日もすると,美しいビーチは帰ってきましたが,パラソルやビーチチェア,ビーチボーイ達が全く見えません。泳いでいる人も誰もいません。淋しい限りです。 |
ひっそりしたバングラ通り 津波の翌日から営業を再開しましたが,津波の後は観光客がいなくなり,多くの店は開店休業状態。この島の7割の人たちが観光産業に従事しているので大打撃です。 |
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ご覧頂きましてありがとうございます。 津波を目の当たりにした人の多くは,目を閉じると当時の恐怖がよみがえってくるそうです。私の友人の1人は,ホテルが倒壊したため失業し,ちょうどホームシックになっていたこともあり,田舎の実家に帰りました。水牛と牛の世話をして生計をたてるそうです。 津波により亡くなられた方々にお悔やみ申し上げますと共にご冥福をお祈り致します。また,破壊されたビーチ沿いの復興を祈念すると共にこの島に多くの観光客が帰ってくることを心より希望します。 (2005年1月10日現地より帰国し,記す) |