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海外写真集・旅行記OVERSEAS TRIP





海外写真集 > イスラエル

イスラエル (Israel)


 機会があってイスラエルに渡航しました。それも3度も。
 イスラエルを語ることは,非常に長い時間を要する。ユダヤ民族の歴史は4千年以上前のエジプト・ナイル文明にさかのぼる。エジプト文明の奴隷から開放されたユダヤ人は独立国家をつくり,独自の文化,宗教等を築いた。旧約聖書がユダヤ教の正典である。ただ,この国家は2千年でいったん終了する。1世紀のローマ帝国による攻撃を受け,ユダヤ人はイスラエルに住むことを許されず,ユダヤ人は離散した生活を送ることになる。散り散りになった後も,「来年はエルサレムに帰ろう」を合言葉に,約1900年間耐え忍んできた。この間,ユダヤ人は,多民族と交わらず,ユダヤの文化,言語,宗教を守り続けてきた。この間,アンネの日記で思い出すように,ナチスドイツによるユダヤ人の大虐殺もあった。当時,ロシア,ポーランドに住んでいた6百万人のユダヤ人のうち,3百万人が殺害されたとの情報もある。
 近代になって,オスマントルコの支配がおわり,英領となったことをきっかけに,ユダヤ人のイスラエルへの帰還事業がスタートし,世界中に渡っていたユダヤ人の再結集が始まった。ただ,いったん空け渡していた領土だけに,他民族の入植地に再入植していったため,アラブ諸国との衝突は大きな問題となった。第2次世界大戦後の独立の後も,隣国と数度の中東戦争を経て,今の領土に落ち着いた。今や,世界の経済動向を左右する経済大国である。ただ,ガザ地区,ゴラン高原問題等,パレスチナの独立問題である民族問題を今も抱えている。


(2006年11月記,2013年4月追記)

聖都 エルサレム(Jerusalem)

エルサレム(旧市街)を臨む
4千年超の歴史を有する古代の都市エルサレム。城壁に囲まれた旧市街は,ユダヤ,キリスト,イスラム3つの宗教の聖地が複雑に混在している不思議な街である。手前に金色のイスラム教モスクが見える。オリーブ山より撮影。 
城壁の門
城壁の中のエルサレム旧市街に入るにはこのような門を通る必要がある。全部で8つの門がある。ちなみに,この狭い門は車も通行します。城壁の全てが紀元前に作られたものでなく,オスマントルコ時代に一部作られたものであるとのこと。
 
旧市街の小道
旧市街の内部は細い路地が続く。標高800メートルにあるエルサレムは,地中海からの湿った空気を受けるため雨量が多く,街は緑に包まれている。冬は降雪も記録する。地中海からの湿った空気はこの丘でせきとめられ,エルサレム以西は砂漠地帯となる。
旧市街
エルサレムの街がこんもりしている様がうかがえるのは,この街は大地震により建物が何度も倒壊し,ガレキの上に新しい街を建造したため。この地帯はアフリカプレートとアジアプレートの境界にあり(死海から紅海を経てキリマンジャロまで断層がはしっている),地震が多い。
 
嘆きの壁(西の壁)
1世紀のキリスト教の支配,7世紀からのイスラム教の支配のなかで,ユダヤ教時代のほとんどの建造物が破壊されたが,唯一残されたユダヤの建造物。かつて存在したユダヤ神殿の西側の壁であったため,別名西の壁とも呼ばれる。ユダヤ人はこの壁をユダヤ教の聖地として祈りに訪れる。願い事等を紙に書いて岩の隙間にはさんで祈る。
嘆きの壁(西の壁)その2
ここは神聖なる場所。近づくには,まず,備えつけの紙製の帽子をかぶる。壁に向かって左側が男性,右が女性のための祈りの場所。写真右の黒服(ユダヤ正装)の男性は自前の帽子着用。ちなみに,この帽子の大きさで信教の度合いがわかるらしい。最近は熱烈に信教する人は10%以下に減り,60%は無宗教状態に近いらしい。
 
 
イエスキリストの死
イエスが死刑判決を受け,十字架を背負って歩いたとされる悲しみの道(ビア・ドロローザ)を歩き,イエスが磔刑に処されたゴルゴダの丘まで歩く。ここで,イエスは亡くなった。弟子たちがイエスの埋葬に先立ち,遺体を処置したとされる塗油の石がある(ポインタを写真にあわせてください)。これにより,ここエルサレムはキリスト教の聖地となった。
ムハンマドの昇天
サウジアラビアのメッカで生まれた預言者ムハンマドは,メディナでの死後エルサレムのユダヤ神殿(この写真の撮影場所付近)の上に現れ,再び昇天したとイスラム教では信じられている(少々無理やりなストーリー)。かくして,エルサレムはユダヤ教,キリスト教に続き,3つめの宗教,イスラム教の聖地となった。
 
エルサレム西側は砂漠地帯
エルサレムを抜けると突然砂漠地帯となる。これから死海に向かいます。砂漠地帯はラクダを連れたアラブ人にとって格好のテント生活場所であったが,このような場所は同時に格好の軍事演習場である。軍事演習により,アラブ人は遊牧をする場所を失った。国家が彼らに住宅を提供し,定住するよう指導している。ただ,放牧生活はアラブ人のDNAに刻まれた習性のようで,なかなか定住しないらしい。
要塞マサダ
死海に到着する前に,古代イスラエルを語る上で重要な場所がある。世界遺産マサダの要塞跡である。1世紀,ローマ帝国に攻め込まれたユダヤ人は,この断崖絶壁の要塞に最後の900人が食料等とともに立てこもり,2年間にわたり抵抗した。しかし,最後に攻め込まれる前夜,全員が自害した。これでユダヤ国家の歴史がいったん止まり,ユダヤ人が離散した悲劇の歴史が始まった。

海抜マイナス400メートルの死海へ(Dead Sea)

海抜ゼロメートルの標識
聖都エルサレムを後にし,どんどん山を下っていく。海抜ゼロメートル(SEALEVEL)の標識を見つけるも,まだ山の中。ここから更に400メートルも下るとは・・・。
マイナス100メートルの標識
海抜マイナス100メートル。半蔵門線の地下鉄でもここまで深くないであろう。確か,平壌の地下鉄はマイナス200メートルだったことを思い出す。更に下ります。
 
海抜マイナス400メートル
やっと死海に着きました。湖面近くのこの辺は海面下400メートル。平壌の地下鉄もびっくりの深さ。ここは正真正銘,地球上でもっとも低い場所であります。一気に1000メートル下ったため,気温は約6度上がります。
死海の湖面
死海の水及び湖面は現在この濃度,この場所に落ち着いていますが,過去(何万年も前)は海水が海抜まで満たされており,生物も生息したとされる。地殻変動により,出口がふさがれ,水分が蒸発し,塩分濃度が高くなった。
 
死海での遊泳
死海の水は塩分濃度約35%。遊泳する風景も見るが,実際にはただ浮いているのみ。足が沈まないので,泳いでも進まないのである。仰向けに浮いていてもクルクル回る。傷口や目に水が入ると痛いのを超えた状態になると思う。以上,実際に泳いでの感想。
死海の資源
死海に豊富に含まれる無機塩類は資源として利用できます。イスラエルは国家事業として塩,カリウム塩,マグネシウム塩,臭素等を死海から取り出しています。塩濃度が高いので,効率的に生産できますが,何百メートルもポンプアップしないといけないので大変です。
 
湖面の減少問題
死海の水を産業に用いているのに加え,砂漠にふりそそぐ強い日差しを受け,水が蒸発し,湖面はどんどん低くなっているらしい。南側で大量に取水するため,今では死海は北湖と南湖に分かれてしまった。運河をつくって,北湖から南湖に水を補充しているらしい。北湖は大きい上,水深400メートルと深く,緊急の問題ではないという。
自然保護の見地から
死海の岩場に自然に析出した塩類。この塩類が語るものは何か?湖面の減少を受けて,地中海側から水路をひいて,雨水を補充する工事も進んでいるらしい。自然は自然のままにしておくことが自然であるのか?資源には限りがあることを忘れてはいけない。
 
死海の夜明け
死海の対岸より昇る朝日を望む。対岸はヨルダン領である。手をのばせば届きそうな距離である。隣国であるヨルダンとも過去に領土問題で戦争を繰り返した。今では良好な関係を築きつつあるらしい。
死海のリゾートホテル
リゾートは南湖のほとりに集中する。冬季は避寒地として,また,スキンケアを目的に長期滞在する人が多く,ホテルはいつも満室状態。死海の塩を用いた化粧品等は日本でも人気があり,多く流通している。
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テルアビブ(Tel Aviv)

テルアビブ市内風景
テルアビブは,少々南国のイメージが降り注ぐ近代都市。イスラエルの政治,経済の中心地である。ここから内陸に入ったところにあるエルサレムは乾燥しているが,ここテルアビブは緑が豊かである。
テルアビブのリゾート海岸
テルアビブの海岸沿いは,巨大なリゾートホテルが立ち並び,一大リゾート地である。特に夏ともなれば,国内外から多くの人がバカンスに押し寄せる。ちなみにここは地中海である。
 
ヤッフォ地区
テルアビブの海岸沿いを南に下ると,ヤッフォ地区が見えてくる。ここヤッフォは,聖書にも登場する古い港町。ユダヤ人再入植時に,テルアビブを作るために移り住んだ街でもある。
ヤッフォの時計台
ヤッフォ地区のシンボルである時計台。オスマントルコ時代に建造されたものらしい。抜けるような青い空とのコントラストが美しい。
 
地中海に沈む夕日
先に,死海越しのヨルダン領から昇る朝日を紹介したが,ここでは,テルアビブにて地中海に沈む夕日を紹介。ここは,イスラエル。地中海の最も奥まった場所であります。
リゾート海岸のレストランにて
サンセットの後は,地中海沿岸のオープン席でゆっくり,シーフードをいただきながらテルアビブの夏の夜がふけるのを楽しみます。ちなみに,イスラエルの食事は,バリエーションが豊かで私の口に合います。

バス