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台湾 (Taiwan)


 台湾は日清戦争の結果,下関条約により1895年から第2次世界大戦終了の1945年までの50年にわたり日本の領土となり,統治を受けた歴史を持つ。ただ,中国本土と違って日本は好印象国で,日本統治時代に立てられた古い建物を修復してそのまま使い続けてくれていたり,日本文化(日本語を含む)を大事にしている。アジア一番の親日国(正確には地域)である。
 台湾では,中国本土との思想や文化の違い,日本が統治した50年の歴史,めざましい発展を見せる今日の街の活気等を体験できます。
(2005年12月記)
 再訪問で念願のアジアの歌姫,テレサ・テンの墓地である記念公園を訪れる機会に恵まれました。亡くなって10年以上がたった今も,墓地には毎日多くの人が訪れ,花が途切れることがありません。テレサ・テンのファンの方でまだこの公園を訪れておられない方は,是非,このページをご覧ください。
(2006年7月追記)
 再々訪問で台湾新幹線に乗車する機会がありましたので写真をアップします。また,台湾のページはいろいろ最新情報満載です。
1)世界一の高さであったTAIPEI101ビルが,UAE,ドバイのビル(ブルジュ・ドバイ)に抜かれました。ちなみに,ドバイのこのビルは最終的な高さが定まっていないビルだそうです。建設中に,更に高いビルの計画を入手すると,このビルも更に高くするそうです。
2)台湾政府の意向により2007年12月,蒋介石を称える中正記念堂の名前が「自由広場」と名前が変更されました。この写真も紹介します。現在の台湾政府下では,蒋介石の功績はないがしろにされています。
(2008年1月追記)
 台北の風景 九份(キュウフン)  鄧麗君記念公園  台湾新幹線

台北の見どころ

TAIPEI 101
通称TAIPEI101,正式名は台北国際金融センター。2005年台北市内に完成したこのビルは,マレーシアのツインタワーを抜き世界一高いビルとなった。その後,2007年にドバイのブルジュ・ドバイビルに抜かれました。その高さ508メートル,101階建て。ちなみに日本で一番高いビルは横浜ランドマークの296メートル。
 
TAIPEI 101 夜景
夜はライトアップし昼とは違ったイメージとなる。早速,89階の展望台見学に出発。分速1,000メートルを超える世界最速エレベーター(2005年現在)が備わっており,89階まで1分かからず到着。展望台からは台北の景色(写真右)を見ることができます。
 
故宮博物院
台湾観光のハイライトは故宮博物院。世界三大博物館のうちのひとつ。ここには中国4,000年の文化遺産が約70万点収蔵されている。蒋介石が台湾に移った時に,中国から全て軍艦で運び込んだらしい。おかげで本土北京の故宮には本物はほとんど無い。
 
自由広場(旧中正記念)
蒋介石を称える記念堂(奥の建物)であったが(裏写真),台湾民主記念館に改称された(表写真)。写真手前は正門(正門の文字も自由広場に改称)。左右には国立劇場と国立音楽院がある。
忠烈祠
国民革命や戦争等で命を落とした軍人等の御霊を祀るために建設された(1969年完成)。日本で言えば靖国神社がこれにあたる。
 
忠烈祠の衛兵の交代
忠烈祠は,台湾軍によって管理されており,写真(左)のように正門には衛兵がピクリとも動くことなく1時間門番をしています。衛兵は1時間ごとに交代し,定時に行くと写真(右)のような交代式を見ることができます。
 
台湾総督府
日本が1895年から50年間台湾を統治した時代の最高の統治機関。当時の建物を修復しながら使用しており,現在は台湾の政府機関が入るビルとなっている。
圓山大飯店
台湾が世界に誇る豪華ホテル。このホテルから見下ろす台北市内の風景は最高です。建築当初は一般の人は入ることが出来なかったが,現在はホテルとして一般開放されている。

台北からのエクスカーション

九份(キュウフン)
日本統治時代にこの場所には金鉱があり,当時はここに人が集まり,その人達のための娯楽施設等が集まり繁栄したが,その後の金の枯渇により,忘れ去られた存在になった。近年,終戦から台湾の動乱期を描いた映画「非情城市」のロケ地となり,現在は観光地として一躍脚光をあびている。写真(左)の赤いちょうちんが何とも言えぬ哀愁をかもし出している。
 
九份(キュウフン)全景
山の斜面に所狭しと古の建造物が並ぶ。往年の金鉱で栄えた街を彷彿とさせる。
九份(キュウフン)から海を臨む
九份からの風景。山の中腹にあり,実に風光明媚な場所である。

アジアの歌姫 鄧麗君(テレサ・テン)

 1995年5月8日,アジアの歌姫テレサテン(中国名:鄧麗君)は,滞在中のタイのチェンマイにあるメーピンホテルで喘息の発作により死亡した。当時,その死をめぐって色々なうわさも乱れ飛んだが,死後10年が経った今は,静かにその死を悼むのみとなっている。
 テレサ・テンがアジアの歌姫であったことは間違いなく,地元台湾をはじめとして,香港,中国,また各国の華人社会で絶大な人気を得ていた。日本においてもミリオンセラーである「つぐない」,「愛人」や「時の流れに身をまかせ」は今でもカラオケで歌う人は少なくない。

 
鄧麗君記念公園
公園といっても墓地。台北の東北,車で約1時間。金宝山の斜面に整備された海を臨むこの高級墓地でテレサ・テンは眠っている。
台湾の高級墓地事情
山の斜面に広がる無数の建造物,これ全て墓地。台湾の人は死んだ人をとても大切に扱う。金宝山のテレサ・テン記念公園より撮影。
 
鄧麗君記念公園の全景
手前の広いスペースに続いて,ピアノのモニュメント,その奥に花畑に囲まれてテレサの銅像,一番奥にテレサが眠る墓石がある。テレサの初来日は1974年。この後,デビュー2作目の「空港」がヒットし,日本でもメジャーとなる。
鄧麗君記念公園内のモニュメント
公園を奥に進むとピアノのモニュメントがある。通る人をセンサーが感知し,往年の名曲が流れ,哀悼の気分を盛り上げる。テレサは日本で活躍中の1979年,偽造パスポートが発覚し,国外退去処分となる。
 
テレサの銅像
公園内の更に奥,植え込みの花に囲まれてテレサの銅像がある。躍動感があり,70年代の初来日時に「8時だよ全員集合!」に出演し,中国語でまくし立てる役を演じたのを思い出した。その後,1984年に再来日し,その後ミリオンヒットを連発した。政治的に影響を及ぼす言動も多く,天安門事件以来,表舞台から身を引いた格好になった。
墓石
その後,テレサは,1990年からパリに在住しながら活動を続け,1995年長期滞在先であったチェンマイのホテルで亡くなった。ご冥福をお祈りします。公園の一番奥にある墓石(ポインタを合わせると拡大します)。この下にテレサは土葬で眠っている。この公園は台北から日本人が訪れるためのツアーもあるくらい有名である。

台湾新幹線

台北駅
台湾新幹線(正式には台湾高速鉄道)の始発駅。ここ台北駅では,高速鉄道は,地下ホームから発着する(上野駅のような感じ)。
先頭車両
全線開通後,台北から高雄まで345kmを最高速度300km/hにて,ノンストップ90分で結ぶ。日本の技術(JR東海及び同西日本会社)が導入された。
 
1等席
1等は座席2×2の配置でゆっくり座ることができる。
2等席
2等席の座席は2×3配列。日本とまったく同じである。

バス